一生労働か一生楽するか
こんにちは
マツケンです。
「一生労働か一生楽するか」について話そうと思います。
働くことが大好きな日本人と海外からはレッテルを貼られている感じですが、果たして本当にそうなんだろうかと思います。
働くのが好きなのではなく、今自分のやっていることの意味をしっかり把握できてない人が多いのかなと思います。
その理由について、一生労働で終わるのか、一生楽していられる人生になるのかの話です。
一生労働で終わるのか
なぜ?働くのですか?
答えの中には、
こう答える方は明確にいらっしゃますね。
今一度冷静になって考えてみると、働くっていう時間は自分の人生の中の時間のパイをかなり占めている要素だと思いますよね。
人生を捧げている感じって言っても間違いじゃない感じ。
一生楽してられるか
本来は働くことへの時間と人生のための時間のバランスってあると思います。
例えば、人生で楽しむ時間が十分ある中で、働く時間はその次っていうのが、本来なのかもしれません。
しかし、特に今の日本は、人生のほぼ大半を生活のための労働に時間を使わざる得ない状況です。
本来は仕事をして得るお金は十分蓄えがあるのが当然だと思います。
なぜ?お金が欲しいのか?
それはご飯を食べるためとか生活のため、生きるためでは本来ないはずなんです。
人生の余裕を得るためその手段として会社に勤めているに過ぎないと思います。
ちょっとここでもっと考えてくださいね。
その手段である「働く」ことが現代この時代において”生きるため”くらいしか意味をなさないんですよね。
どんなに頑張っても給与は先が見える
ただこれも一握りの人が実際に貰えている給与です。
現実はもっと低いんです。
手取り15万円から17万円なんです。
可処分時間に何をするか?
そこで一生懸命働いても給与30万円は、生活費や光熱費、借金返済のために跡形もなく消えていくのです。
とかの考えは贅沢になってきてしまってます。
現実は、どこまで働いても生きるための手段であるくらいにしかありません。
ラットレース
こういうのを世間では「ラットレース」って呼ぶんです。
ハムスターの回し車って想像できますよね。
くるくる回るハムスターは、必死になってかけっこをする。
その先を見ることもなく、目を外に向けることもなく、ただひたすら漕ぐだけの回し車を走り続けます。
全く前に進んでいないのにそれすらも気がつくことなく
ただひたすらと・・・
会社に雇われている状態
会社批判をしてるわけではないですが、生活費ギリギリの給与で働いている人も同じだっていうことです。
会社に雇われて、そこに生きがいを見出せていることで生活が成り立ている、そこに目的を感じているなら雇われていても働く手段としては間違ってないと思います。
とは言え、たった一つの一回限りの人生をより良くすることを目的とするならば、この手段では達成はできないと断言できます。
個人で稼ぐ力
これこそが個人で稼ぐ力でありその目的を最適に達成できる手段です。
私がここまで稼げているのも人生や生活に余裕を持って生活できているのもネットを駆使したビジネスで個人の力で達成しているからんです。
そして、商品やサービスを販売するためのマーケティング力、ポジショニング、ブランディング作りの力が養っているわけなんです。
個人で稼ぐ力が養われる
これは会社に雇われている状態では達成できないものがズラリです。
断言をまたしちゃいます。
独立して起業
盲目的に働くということよりもその先にある自分自身の人生の豊かさ、そして空間が目的なはずです。
人生の目的を考えた時に本当の人生の目的って何か?
どんな手段が最適化を考えて見てみましょう。
ここを整えると自分自身の力の強化をすることがいかにこの先の未来に直結しているかわかるはずです。
それでは今日はここまで。
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